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何が「きっと、また」なのか


2020年の秋ごろから、曲作りという行為を始めて、

翌年の1,2月頃に誕生したのが、本タイトルの楽曲だった。

(楽曲はこちら


駄文になってしまうかもしれないが、(なる気がする)

なんとなく、作曲面と歌詞面の経緯を残してみる。


【作曲面】

もともと、the cabsやpeople in the boxが好きだった(ミーハーだった)ので、

変拍子が混じった曲にしよう、と決めていた。


また、なんとか普通ではない感を出すために、

ギターは(確か1弦か2弦以外を)半音下げにして、曲を作ることにした。

(結局は、「上記チューニングのまま、2カポ」という、

「全音チューニングの1カポでいいのでは」という疑問が湧く形に落ち着いたと思う)


1弦か2弦かを半音下げの対象から外すことで、

左手は、たった2音分抑えてあげるだけで、

好みの音が鳴るという、省エネコードとなり、


明るい音ではないか、暗すぎる音でもない、

無機質だが、どこか優しさが込められた音が誕生した。

(このコードが理論上何なのか、等々は私も詳しくわからないので、

お話する機会があれば、かわわにパスしたい)


【歌詞】

まず、この曲の歌詞を載せさせていただく。

願う、再会を

この物語が終わってしまう前に

ページを捲る

また会えますように


「”不思議ね、離れていても

同じ月が見えるだなんて”」

認めた手紙と白い吐息

「”ねえ、聞いて、わたしの願いを”」


「時が経ち、

戻らないあなたの言葉に気付く。」

終わり

「花束に埋もれた、

あの墓標に刻まれた名前は」


願う、再会を

あなたの声がいつか

霞んで消えてしまう前に

願う、再会を

探してもいいでしょう


時が経ち、声を失う

時が経ち、僕を忘れる

優しかった目には愛が映るだろう

優しかった目には何が映る?


願う、再会を

この物語の終わりに

気づいているからこそ、叫ぶ

生きるから


何年か前に、懐かしのアメブロにも、書いたことがあるが、

私は一期一会という言葉の前提になっている考え方が苦手である。


好きな知人には何度でも会いたいし、

好きな出来事は何度でも繰り返したい。

これが最後かもしれない、という感情はとても寂しい。


完全な私事になってしまうが、

祖母が認知症を患い、その後数年で亡くなった。

まるで別人になってしまうのだから、認知症は本当に恐ろしい。


何事にも終わりがあることを誰もが知っている。

ただ、理解はできるものの、具体的に想像して受け入れることは難しい。


そんな感情を、どうやら歌詞に残したらしい。

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(追記)

この動画は、2021年末に浜松の砂浜で撮影しました。

Special thanks 知らないカップルですが、

彼らが末永く一緒に居続けられますように。


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